ただの殺人とテロは違う

広告

最近あるネットの有名人が殺害されたらしく、それについてテロだと書いている例を多く見る。

テロというのは主に政治的目的を達成するために暴力を用いることである。この例は逆恨みか何か知らないが個人間の諍いなので別に政治的目的があったわけでもないしテロではなく、ただの殺人事件だと思う。今の所の情報では刺した人物は何か政治的な目的(例えばインターネットでの言論の自由を封殺しようとか)を達成しようという動機はなかったようだ。しかしテロだと断じている人がかなりの数いる。

テロではないものをテロだと言うことによって、本当のテロの言葉の重みが軽くなる。これは別にテロに限らなくて、例えばブラック企業について、別にブラックではなく個人的に嫌いなだけなのにブラック企業だと言い張る人が増えると、それに対してやれ甘えだの何だの言ってくる人が増える。ブラック企業の定義付けをしっかりして、こういう条件に当てはまったらブラックと明確にしないとブラック企業批判が軽くなり、また別の定着しやすい名称を考える必要に迫られてくる。ある物事を表すそのものをズバリ言い表す名称で、しかも広く受け入れられる名称を作ることは、その事柄を社会に認知させるのに重要な役割があると思う。このよい名称を付けることは存外難しく、頑張って名付けても受け入れられないことはよくある。せっかく普及するいい名称を付けたのに誤用の氾濫によって本来対立すべきだったものとは別のところから横槍が入り議論がグダグダになるのはもったいないことだと思うし、さらに言えば利敵行為ですらあると思う。ブラック企業と労働者の対立で言えば、ブラック企業の定義を曖昧にすることによりブラック企業批判は労働者の甘えみたいなことを言い出す第三者を生み出してしまう。

あとは流行語大賞にノミネートした「日本死ね」もそうかな。あれも保育園に入れなかったという顛末を書いたものなのに、単に「反日は称賛されて愛国は叩かれる」みたいな的はずれな批判が出てくる(たぶんこういうこと言うやつは原文読んでないと思う)。ある言葉について定義をしっかり確認せずゆるふわな感じで使うのはその言葉が本来言いたかったことをスポイルする結果になるんじゃないかと思う。