差別は先人たちの振る舞いの積み重ね

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アメリカにおける移民と差別の現実」を読んだ。差別はいけないことだと思うけれど、ここに書かれている話は納得できる。

例えばアメリカの住宅価格は日本とは少し異なっている。パロアルトは高級住宅街だが、ちょっと道を隔てたイーストパロアルトは絶対に行かないようにと言われるような地域である。シリコンバレーの殺人事件の多くはイーストパロアルトとかイーストサンノゼで起きるらしい。何故かイーストが付く地域はあぶない。そして治安は家賃にも反映される。スタンフォード大学まですぐ近くでこの家賃はお得だと思ったらイーストパロアルトということもある。逆に日本ほど都心からの距離のようなものは重要ではない気がする。

またアメリカの住宅価格はその地域にある公立の学校の評価によってかわってくる。親は子供に安全な学校で質のいい教育を受けてもらいたいと思っているので、いい学校のある地域は住宅価格が高くなる傾向にある。逆に言うと独身者などで子供がいない場合には、人気のない学区で家を探すと住むには悪くない住宅が安価に手に入る場合もある。余談だが、カリフォルニアの公教育は崩壊気味らしく、ひどい学校は本当にひどいという話。なぜそうなったかというと少し歴史を遡る必要があるけど、1978年の住民提案13号(proposition 13)が原因らしい。WikipediaのページにEffect on public schoolsという項目がある。この住民提案13号はこの地域の住宅価格が異常に高い(ニューヨークやビバリーヒルズよりも高い)ことの理由でもある。これは地獄のサンフランシスコというスライドにうまくまとめられている(248ページあたり)。

ともあれ、このようにしてお金に余裕のある人は治安がよくて公立校が荒廃していない地域の住宅を求めて、そうではない人々は治安の悪い地域に集まり、緩やかな人々の分離が図られている。付き合いたくない人とは物理的に距離を置くようになっている。

ところで、ショッピングモールなどで前の人が扉を開けて入った際に後ろの人のために扉を押さえておいてくれるかどうかに注目すると、やはり白人はそうしてくれる率が高く、どちらかというと差別されている人種の人は自分のことしか考えない傾向にある。その人種に対する評価というのは、こうした小さな習慣の積み重ねで決まるようである。そういう意味で日本人は割りとマナーのいい国民性なので、あとからアメリカを訪れた立場としては先人の努力の結果、割りと歓迎されているようでもある。昔の日本人は結構苦労も多かったと思う。逆に自分に非がないのに冷ややかな対応をされる場合は、自分の同胞や先達が色々と粗野な対応をしてきたつけを支払っているのかも知れない。

閑話休題、友人が日本人が海外でナンパしているブログをよく見ていて、このまえ「田螺のニューヨーク恋愛修行日記」というブログのリンクを送ってきた。先頭のいくつかのエントリを読んだだけだけど、この著者は気が短く、気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こし、お金に細かくケチで、おまけに傷つきやすく批判を嫌う性格をしている。彼がニューヨークでどんな目に遭おうと私には関係ないのだが、彼の癇癪をぶつけられた女性は日本人に対してマイナスのイメージを持つことになるので、できれば上品に振る舞ってほしいと思っている。そういう小さな振る舞いの積み重ねが評価につながり、差別されたり、歓迎されたりにつながってくるのである。