京大を出て専業主婦をしても別にもったいなくない

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「京大出て専業主婦なんてもったいない」と言う人は、じゃあわたしが何をすれば許してくれるのか』という記事に注目が集まっている。本文中でも書かれているが

いったい何がもったいないのだろう。

もったいないってことは、わたしは何かを無駄にしているってことなんだろうけれど、何を無駄にしているのだろうか。

一日経って、無意識にそんなことを考えていたら、なんだかこれもしかして、わたしの存在が無駄ってことでしょうかね、どっからやりなおせば無駄じゃないんですかね、みたいな気持ちになってきて、たぶんそれはもう女に生まれた時点じゃないのか、受精卵の時点から間違っていたのかなって思えてきて、まあ泣きましたよね。だって不条理だけれど、仕方ないもの。

一昨日さんざん言われたときに、「もったいなくないありかたって何ですか?」って聞こうかなって思った。「社会貢献しろっていうけど、じゃあ社会貢献って何のことですか?」とかね。

でも何て言われるかだいたいわかってたからやめた。きっとね、「それは頭がいいあなたが考えることでしょ(笑)」って言われるだろうなって思ったの。

まあ、ジェラシーなのである、それはもうわかっている。

ジェラシーであるという分析は正しいと思う。多額の国費をかけて育成したのに〜などは個人的には見当外れで、選択肢のある人が選択肢のない人と同じことをしたらもったいないと言われるのである。批判している人はおそらく京大卒なら主婦としてだけでなく、例えば大企業で大きな仕事をする人生も可能なのに主婦を選んだことが面白くないのだろう。

自分に関心のある話題にずらすと、例えばアメリカの永住権はDVプログラムという抽選方式で当てることもできる。日本の当選者は年度によって違うけれど200〜300人いると言われている。しかし、その多くは辞退してしまうらしい。何故かというと、DVプログラムは無料で応募できるから気軽に老後はハワイに住みたいねーみたいな気軽な気持ちで応募しちゃう人もいて、その人達の中に当選者がちらほら現れるからである。アメリカの永住権は維持するのがそれなりに面倒なので、いざ永住権が当たったとしてもよく考えると面倒だから棄権しちゃえということになる。

永住権を当てた人は選択肢を持っている。永住権を取得しアメリカに移住することもできるし、辞退して今まで通りの生活を続けることもできる。私を含めて多くの人は選択肢がない。私はある程度の幸運と行動力に恵まれてアメリカに住んでいるけど、世界中のほとんどのアメリカにチャンスがあれば行きたいと思っている人は夢のまま終わる。日本は比較的豊かな国だけど、世界には割と多くの人がチャンスさえあればアメリカに行きたいという人は多い。一人でも永住権を取ったら一族郎党引き連れてやって来る人もいる。あと永住権当たると突然求婚されるなんてこともある(配偶者にも永住権は与えられる)。ある種の人達にはアメリカに住めるというのは焦がれるほど手に入れたい夢である。そういう夢のまま終わる人から見ると永住権を当てたのに権利を行使せずに棄権した人は何を考えているのかわからない、もったいない、枠が決まっているんだからそういうつもりなら申し込まないで欲しいということになる。だから

「大丈夫。その人は、自分にないものを持っているあなたに嫉妬しているだけだよ。ぜんぜん、何も、無駄じゃないよ。」

そう言って頭をなでてくれる人と結婚してよかった、自分がそんなには間違ってないって裏付けてくれる人がいてよかった、これだから嫉妬されるのかなーなんて、ちょっと笑っちゃうけど、とにかく今晩もおいしいごはんをつくろうって思う。

わたしはちゃんと幸せで、誰にもそれを邪魔することはできない。

というまとめ方は、文句を言っている人の神経を逆なでしているのではないかな。先ほどは永住権の話をしてあまりぴんとこないかも知れないので、もうちょっと下世話な話にすると、世の中にはろくに食料が手に入らない人がいる。その人達が豊かな人の食卓で消費されずに廃棄される食品を見てもったいないというかも知れない。それに対して今日も食べきれなかったものを捨てたけどわたしはちゃんと幸せで、誰にもそれを邪魔することはできないと言ったら荒れると思う。食べるものに困らない人でも食品ロスがあまり出ないような買い方をするべきだし、永住権の申し込みも切実に欲しい人の枠を圧迫しているかも知れないことをちょっと意識するほうがいい。

ただ、京大卒で主婦の場合はちょっとそれとは違う面もあって、例えば京大に行かなかったら今の配偶者と知り合えなかったかも知れないし、また将来子供ができたときに専業主婦として多くの時間を育児に費やし、母親の学識の豊かさが子供にいい影響を与えるかも知れないので、最初から専業主婦になるつもりなら入学枠1つ他の人に譲ってくれればいいのに、とはならないとも思う。だから、京大を出て主婦になろうがニートになろうが、国を救うような偉大な政治家になろうがそれはどうでもいいんだけど、選択肢を持つ人が恵まれた立場にあること、その恵まれた立場にある人の言葉の使い方1つが多くの恵まれない人の気持ちを傷つけるということは配慮しても良いのかも知れない。