仕事って豊かになるためにするものじゃないのか

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久々にばいおへのトラックバックを打ってみようと思う。元ネタは「大手企業入社講座〜講師に質問編+TA」です。

ばいおは海外ニート氏(Job is shit氏)に似ている

仕事の内容はほとんど気にしてないこととかw ぶっちゃけやりがいなんてどうでもいいですよね。それに、どんな仕事が面白いかなんて仕事したことないのでわかりません。やりたいことなんてぶっちゃけ特にないですね。金がもらえればいいんじゃないですか? 仕事なんてそれ以上でもそれ以下でもないと思いますけど。

ばいおの考え方は海外ニート氏(Job is shit氏)に近いから、ああいう生き方をすべきだと思う。薬なら先進国ならどこでも手に入るだろうし。Job is shit氏の考え方の根底って「そもそも仕事なんてクソだろ」ってことだったと思う。で、ばいおもそう考えている節がある。Job is shit氏は先日宝くじを買ったらしい。一発でネオニートになれるということで気合いを入れていたようだ。つまり、彼にとっては一生生きていくのに十分なお金が手に入れば、すぐにでも辞めるのが仕事のようだ。

幸か不幸か自分はそうではない。なんて言うか、自分で何か面白いことをしようとしたら莫大な資本金が要るのに、会社でやればそれを会社が負担してくれて、さらに給料が出る。例えば自動車会社でF1やっている人なんか、大学の自動車部をデカくしたようなものだ。餓死が現実的だった原始社会だったらともかく、仕事って豊かな生活をするためにあるのが本来の姿だと思う。狩猟生活より豊かに暮らしたいから牧畜を始めた。もっと豊かに暮らしたいから色々な物を作った。仕事ってそういうもののはずなのに、どういうわけかブラック全盛なんだよな。

社会に有益な仕事はブラックではないことが多い

自動車でもソフトウェアでもサービスでも何でもいいのだけど、多くの人がワクワクして、それにお金を出すことを喜びと感じるような業種って、通常はブラックではないように思う。製品の作り手も製品を楽しんで作っているように見える。そういうものは、顧客の方からネットとか雑誌であーでもない、こーでもないと情報交換をして多くの人が求めてくる。こういうものの積み重ねが文化を作り、文明を作る。このエントリでは「価値を創る」と呼ぶことにする。経済学的に言うと生産者余剰って言うのかな。でも生産者余剰はどの業種にもあることになるから、別の言葉を用いる。

一方でブラック企業って社会にとって不要なものが多いと思う。別に売らなくてもいいようなものを無理して、あるいは騙して売りつける。だから働いていてどこかすっきりしない、楽しくない。例えば先日潰れたSFCGという評判の悪い金貸しは、向こうからやってくる人はとても貸せないような真っ黒な人ばかりらしい。一方で借りて欲しいような人は「誰がてめーのところで借りるか」と相手にしてくれない。そこに無理矢理融資を付けないといけないので、そりゃあ仕事はキツいそうだ。このように、要らないものを売りつけるから、土下座営業みたいなことをしなければいけないし、ノルマ管理しないと十分な売り上げが上がらない。

ばいおブログによると「ビジネススキルとはコムヌケーソン能力と行動力」だそうで、これらは重要な資質であるので間違いだとは言わないけれど、いわゆるブラック企業で求めているようなコミュ力による無理な営業をしなくても求められる商品やサービスを創ることのできる(かも知れない)人材を大事にして欲しい。

反例はいくらでもあるとは思うけど、基本的にはそう思う。外食産業はブラックが多いというけど、よほどまずいものならともかく外食って楽しいよね。だから厳密に考えないで、なんとなくそういうことだと感じて欲しい。

全ての人がクリエイティブになれない

なぜ全ての仕事が価値の創造ではないかというと、やはり能力の限界があると思う。よい物を創るにはそれ相応の能力が必要だが、全ての人にそういう能力が備わっているわけではない。だから、そういう能力のない人は楽しくない仕事に就かざるを得ない。

しかし、私は経済の本質は《富の再分配》だと思っているので、先進国ならば他国に真似のできない、どかんと稼げるものを一握りの人が創ればいいと思う。そうすれば、法人税なり所得税なり、あるいは相続税なりで社会に富がもたらされる。社会が健全に機能していれば、そうした富は多くの人の生活を保障する。

鳶が鷹を生むという諺もあるように、社会全体が豊かだと、ひょんなところから次世代の才能が現れたりもする。アカデミックな世界だと、例えばノーベル田中は2ch的には蔑視されている地底(地方の旧帝国大学)を留年している学部卒だし、青色LEDの中村修二氏も就活で「オナニート研究なんかいらねーよ」と散々な目に遭ったものの、一時的に日亜化学の社長が理解があって成果に結びついた。つまり、超一流大学をトップの成績で出た人だけが基礎研究をしていてはこういうものはできないのであって、富の再分配という機能はマクロ的には必要不可欠な仕組みである。

参考

僕が会社をやめたわけ–青色LEDの発明者 中村修二氏に聞く

可能性を食いつぶすブラック企業

ありふれた言い方をすると、資源もろくにない日本が国際社会の中で輝きを放つには、優れた物やサービスを生産し続けるしかない。だから、企業の採用はそうした基準でなされるべきである。言っちゃ悪いけど、ノーベル田中はリア充には見えないし、コミュ力もないように見える。彼も企業から蹴られたことはあるが、無職になることはなかった。少し前の日本は、少々変人であっても受け入れるだけの懐の深さがあったように思う。しかし、現在の採用ではそうした点は消えてしまったようだ。

多くの場合ブラック企業はたいして有益でもないもの、下手をしたら有害な物やサービスを扱っている。要らないのに無理に押しつけて、労働者も消費者も不幸せになっているように見える。十分な価値を生産していないものだから会社の経営は苦しく、過度なサビ残、土日出勤当たり前、有給なんか取れませんetc…一時的にこういう会社が繁栄するだけならある個人が不幸というミクロ的なもので終わってしまうのだけど、そういうのが長く続くと出生率は下がるし、仮に子供ができても「うちは貧しいから高校卒業したら就職しておくれ」と、戦後の貧しい時期みたいなことになってしまうことは容易に予想できる。そうすると次世代の才能が育たない。

そうならないためにも、仕事は楽しいものであって欲しい。よく「社会はそんなに甘くない」とか「社会人失格」とか言うけど、ああいうのって海外ニート氏が散々言っているけど、ろくなもの生産しなくてお互いに富を搾取し合っているような業種だからそういう言葉が出るんじゃないかとすら思う。極端な話、自動販売機の釣り銭取り忘れを回収している人って「仕事」辛いと思うよ。海外に行くとよく見かける乞食もそうだし、自分の仕事はbeggarではないと自信を持って言える人ってどのくらいいるだろうか。

完全にストレスのない仕事なんかないだろうけど、得られる達成感と比べたら微々たるものだという仕事をしている人もたくさんいて、そういう人も社会人、むしろそういう人こそ社会人と言えるのではないだろうか。

追記

こういう主張に対してはたぶん「見方が浅い」という厳しいツッコミがあるんだと思う。例えばエスキモーに氷を売るなんて話があるけど、これはまさに要らない物を売りつけるためのマーケティング。

この本は確かエスキモーの話はまったくなくて、アイスホッケーチームだかの話があったような気がした。ともあれ、魅力のない商品を売りつけることは、相手の金を簒奪する行為のようで、実はそうではないというのがマーケティングらしい。某R社で相当出世した営業の人もそんなことを言っていた。営業はコンサルらしい。相手と一緒に問題を考えて、お互いに幸せになると。でもR社のせいで不幸せになっている人って相当いると思うんですけどね。確かに採用はシステマティックになったかも知れないけど、採用は画一化して製造業は力を失った。