電子立国 日本の自叙伝

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Harvard MBAは役に立たないのか?

最近、沖田が「MBAブームは5年ぐらい前にはアメリカでも終わっているという話」などという発言を多くしている。果たしてそうなのだろうか?

確かにMBAは猫も杓子も取るようになって変なMBAホルダーは増えたと思う。日本にもよくわからないビジネススクールは多い。しかし、日本の経営学科とかビジネススクールなんて、ほんとオナニートの巣窟としか思えないところは山ほどあるよ。コンビニに行ったことのないじーさんがコンビニ経営について指針を立てていたりする。ちょっとバイトした程度であってもPOSシステムがどのくらい進歩しているかとかわかるのに、それより遙かに劣ったアイディアを語っていたりする。これをオナニートと言わずしてなんと言えばいいのだろうか。

さすがにそこまでレベルの低いのは放っておくにしても、MBAが乱立気味なのは確かで、結果的に卒業生もびみょーなのが多くなった。

トップレベルの専門職大学院では何を教えるか

散々引き合いに出すけど、

この本はそういう疑問に答える点では良書だと思う。自分なりに要点を述べると、専門職大学院は「思考の方法」の訓練をする。沖田の考え方が変だと思うのはどの辺だろうとつぶさに考えてみると、沖田はどうもMBAという肩書きを神格化していることに違和感を感じているのではないかと思う。

MBAホルダーをリーダーに迎えれば会社は上手くいくというのは確かに見当外れだろう。しかし、そんな考え方をしている人がどのくらいいるのか?日本の会社組織ではそういう人が多く、同時にそれ故にMBAに対して否定的なのかも知れない。

1月18日の日経ヴェリタスの特集は『アメリカ再生への道、「ハーバード」にみる挫折と挑戦』だった。全体的に沖田が支持しそうな書き方であった。一部引用すると

 HBSが生んだ教育手法は「ケース・メソッド」。実例を題材に「競合相手が価格を下げた。君は経営者としてどう迎え撃つ?」といった演習を繰り返す。生きた経営を吸収するシステムだが、目先の勝利を追う短期志向と背中合わせだ。
 今回の危機で露呈したのは、そんな発想の限界だった。金融機関はシェアを失うのを恐れて住宅ローン関連の投融資を拡大し、危機を膨らませた。GMの苦境も、目先の世界一にこだわって合理化が遅れたためだ。

とあるが、これは浅い見方だと思う。上述のように、専門職大学院が重きを置いているのは問題に対してどう対処するかという頭の使い方の訓練を徹底的に行う。少なくとも自分は普通に生きていると、メチャクチャ頭のいい仲間と朝から晩まで「あーでもない、こーでもない」と本気で議論する毎日を送ったことがない。ほとんどの人は自分では頭がいいと思っていても、ハードな環境にどっぷり漬かったことはないんじゃないかと思う。これは大学時代もそうだし、おそらく就職した後も雑多なやるべき仕事があって、まとまった時間ハードに過ごすことはないと思う。

GMの例があるけれど、GMの危機的状況を見て対処療法的な解しか出さなかったとすれば、それはケースメソッドが誤っていたのではなく、単にそのときの指導者がアホだったというだけのことである。ヴェリタスで「生きた経営を吸収する」ことは「目先の勝利を追う短期志向と背中合わせ」としているが、これは悪意を持ったミスリードである。HBSのカリキュラムは過去の成功事例を学ぶことではなく、考え方の訓練をすることだし、また、短期的な利益ばかりに目が向くというのも誤りである。短期的に利益を出したいならレイオフして研究開発投資などをすっぱりやめて、売れる工場とか土地を売却してしまえば莫大な純利益が残るだろう。ただし、翌年以降の業績は落ちていくが。

で、日本はどーなのさ?

日本はアメリカと風土が全然違うような気がする。例えば、前財務長官のポールソンは実によく働いた。サンデーポールソンというニックネームがつくほど、土日の間に何か具体的な策を練り上げて月曜日の市場が開く前に次々投入した。しかし、日本の財務大臣とか日銀総裁はほとんど何もしなかった。

日本の組織で好まれる言葉に「前例がない」とか「誰が責任を取るんだ?」というものがある。日本では首相ですら責任が自分に一点集中することを嫌い、根回しして合意を得てから動き出すことを好む。とすると、日本の場合はHBSでMBAを取ってきたエリートがびしっと決めるというのはどうも難しい。談合しないと話が始まらないのなら、談合に加わるメンバーがみんなMBAを持っていることが期待されるが、それは難しい。少数の人がMBAを持っているだけではたいして意味がなく、結局「なーんだ、MBAって使えないじゃん」ということになる。

日本は技術立国だと思う

日本の企業は経営で成り立っている会社は非常に少ないと思う。それに現場主義が多い。日本の会社を支えているのは優秀な経営陣ではなく、ほっといても現場でカイゼンしてくれる優秀な労働者である。現場から上がってくる合理的なリクエストを管理職が承認して動いていく。ここがアメリカとの大きな違い。

ところで、ふとしたきっかけでYoutubeの「電子立国 日本の自叙伝 第2回トランジスタの誕生」を見つけた。他の回はあまり充実していないようなのでトランジスタの話だけ。

電子立国 日本の自叙伝 第2回トランジスタの誕生:1

電子立国 日本の自叙伝 第2回トランジスタの誕生:2

電子立国 日本の自叙伝 第2回トランジスタの誕生:3

電子立国 日本の自叙伝 第2回トランジスタの誕生:4

電子立国 日本の自叙伝 第2回トランジスタの誕生:5

電子立国 日本の自叙伝 第2回トランジスタの誕生:6

電子立国 日本の自叙伝 第2回トランジスタの誕生:7

電子立国 日本の自叙伝 第2回トランジスタの誕生:8

電子立国 日本の自叙伝 第2回トランジスタの誕生:9

いま見ても面白い番組だと思うし、どちらかというと今だからこそ「日本にもこういう時代があったのか」と感心するのでよいかもしれない。

ちょっとした実験をするにも、純度の高い素材が手に入らないとか、実験装置がないとかで、バケツに穴を空けた装置で代用したとか、情けなくなってくるようなエピソードが多い。ソニーがまだ東京通信工業だったころの話もあり、いかに日本の名だたる企業が生まれて成長していったかがよくわかる。もちろん経営者の存在も大きいのだろうけど、やはり日本は技術立国だと思う。

日本は資源小国だとか、食糧自給率が・・・とかよく言われる。だとするならば、日本は技術立国として生きていくか、あるいは失敗したアメリカのように金融立国になるしかない。安い自動車の組み立てに派遣労働者を使っているようでは先がないと思う。

もし技術立国を目指すとしたら、HBSのような方法論はあまり要らないと思う。現場の技術者がこうして頑張れる環境を作ればあとは勝手によい製品を作って、熱意ある営業マンが世界中に売りまくってくれる。

まあ、今まで何度も言うように今の日本企業はこうした泥臭い基礎研究をやることにあまり関心はなくなっているから、技術立国は無理かも知れない。じゃあ金融立国かと思うけど、日本人の多くは資本主義を理解していないのでこれまた無理だと思う。じゃあどうするか、結果的にワーキングプアが街に溢れるのは仕方がないことなのかも知れない。

1 個のコメント

  • 役人に関してですが,日本は「情報分権,人事集権」で,課長級に決定権を回すかわりに人事を握ることで役人全体で最大限の力を発揮していたのに対し,アメリカは「情報集権,人事分権」で,トップが決定権を持って課長級が人材を調達/運用していたという違いがあるそうです。おっしゃる通り,上層部は決定しないかわりに他省庁との「外交」を行っていたわけですが,高度経済成長を成し遂げたのはこの最大動員システムに負う点もあるそうなので,一概に否定はできないかなと思います(経済成長を成し遂げたあとは見ての通りですが)。といっても,そもそもGHQが日本の官僚組織の縦割り制を修正して,始めからアメリカ型のシステムを取っていればアメリカ型で成功していたかもって話もありますが。笑

    技術立国については常日頃思っていることと同じで嬉しく思いました。

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