ニートステーション・011(センター試験)

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どら様

センター試験のことについておききしたいのですが、
今自分は5割5分から6割5分くらいのちからしかないのですが
いまからでも過去門など毎日やれば7割に届くでしょうか?
ちなみに宅浪です。

かなりキツいと思いますが、毎日時間を決めて予行演習をすれば短期間で「勘」は相当付くと思います。12月になったら基礎力を付けるより、テストで点数を取れるような練習をする時期だと思います。

問題を時間を計って解いて、採点して、間違えた問題の解説を読むのは結構キツい作業です。普通に受けても国立大学なら7科目か8科目ですから1セット2日かかります。さらに、見直しを含めると1セット3日か4日かかるかも知れません。それを続けるのはかなり大変ですが、やれば効果はあると私は信じています。

ところで、解説を読んでも意味不明の場合は誰かに聞いた方がいいです。高校の先生でもいいし、友達でもいいし、予備校の冬期講習に参加して、TAに質問しまくるのでもいいし、とにかくわかる人を見つけておくことが必要です。

解説を読めば意味がわかるなら、とにかく数をこなすのが有効です。身体に時間のリズムと、問題の感覚をしみこませることです。数学の場合は大して変わった問題は出てこないし、国語も直感で相当答えられるようになるはずです。

7割が目標なら苦手科目を克服するより、得意科目を伸ばした方がよいと思います。ただ、得意科目で失敗してもパニックにならないために、あんまり目標は決めない方がいいです。

頑張って下さい。

ですにーと様

東大にOpenCourseWareができていたのは知りませんでしたよ。パッと見た感じ、まだうpされている講義はそれほど多くないようなので、まだこれからという感じでしょうかね。

できたのは比較的最近だと思います。2005年くらいでしょうか、たしか。著作権の壁があるので教材の充実は難しいでしょうね。完全に著作権フリーの資料だけで授業をしている教員は多くないですから。

スタンフォードあたりだと全講義とかやっているようですが、日本はまだ法律の壁がありそうです。

効率だけを重視すると、一般教養のマスプロ講義は、ネット講義にしてしまった方が、教官も学生も手間が省けて良いのかもしれません。ナマの講義は、時間割が定められ受講への強制力があったり、緊張感があったりするというメリットもあるんでしょうけど、ネット講義のいつでも自分の好きなときに何度でも講義を聴けるというのも大きなメリットです。

そういうのを率先しているのが予備校業界ですね。資格予備校とか、あとは進学予備校でも東進あたりはビデオ教材に力を入れていますね。NHKスペシャルなんかは古いものを今見ても価値のあるものもあります。あのくらいの品質のものなら、ある程度お金をかけて作っても長く使い回すことが可能でしょうね。

ただ、大学の教員は概ねそういう教育工学的な努力をしない傾向にあります。教育工学者も大抵はオナニートですからね。民間より遙かに劣った方法を再研究したりしています。

教官もただ写経を迫り出席点重視策をとったりして、学生に忠誠をひたすら求めるのを再考する時期には来ているとは思いますが、東大の教官はそんな動きは気にせず我が道を行きそうな気もします。

信州大学だったかな、一部授業を予備校講師に投げたという話がありましたが、あれはいい傾向かも知れません。

シーボ様

ノートをとることの利点として、ノートをとる側の視覚的な情報の再整理、および再認識が挙げられるかと思います。要点や数式変形が綺麗にまとまったプリントやデジタルデータならば、情報を受け取る側の整理は必要ではないですが、要点がまとまっていない場合は、受け取る側の編集が必要になってくるかと。この点は板書でも同じ問題がありますが、プリントの隅に書ける以上の重大な編集が必要な場合には(そもそも話者がそんな講義をするなよというツッコミはおいておいて)板書より問題になるのかなぁ、と思います。情報の再認識においては漫然と見て流してしまいがちな資料を、手で書くことは計算過程を自分でトレースすることを可能にしますし、「書く」というプロセスを全員が強いられることで、いわゆる「頭の中で考えることができない」人まで漏れなく自分で情報を整理させることができるので、初等教育では重要なのかなぁと思いますね(意欲がない人は、スライドなんかだと寝てしまう人も多いと教室を見回して思います)。講義の電子化に関してですが、これは学生の質にもよりますが、教員と学生とのその場でのインタラクションが生まれる理想的な場合、教員としてもメリットがあるということを聴いたことがあります。教員が「講義の前が一番勉強する」ということも聞いたことがありますので、一概には書くということは否定できないのではないかと思います。講義の価値が、単位時間当たりに学生に与える有益な情報の多さで判断される場合には、もちろんクソだと思いますが。

ノートを取る意味はあると思います。問題は、授業を聞きながらノートを取ることが理解を妨げるということです。

私も数式を追いかけるときは紙とペンを持って手で追います。腕力を付けるのも大事ですね。最後まで計算をやりきる実力は必要です。特に受験ではそういうものは重視されますよね。数学で多少アプローチが下手でも、豪腕でねじ伏せて完答する人もいますから。ただ、授業は筋トレタイムではないと思います。

筋トレをこなすために、データを持ち帰ることが必要ですが、これを写経ではなくプリント配布やデジカメでの撮影に代替はできないかなと。

「頭の中で考えることができない」人のフォローは重要ですね。でも、書いていて頭にちゃんと残るものでしょうか。結局、ノートを写経させることは復習に依存していて、スライドで寝てしまうやる気のない人がノートなら実力がつくかというとちょっと怪しい。

よく「パワポ作る」という人がいます(PowerPoint「で」作るんじゃないかとか、無粋なツッコミは置いておいて)。プレゼンテーションソフトはプレゼンテーションの手間を軽減する役割がありますが、私感では手段と目的が入れ替わってしまっている人を多く見かけます。あくまでPowerPointは良質の資料を楽に作る手段なのに、PowerPointのスライドを作ることが目的になっているような感じです。

教材作成(授業中の板書を含む)と授業前の勉強は似ているようで違います。教材作成は手間を軽減できるなら軽減した方がいいのではないでしょうか。あくまでいい授業をすることが目的なのであって、教材を作ることそのものが目標ではありません。ということは使い回しができれば、本質的な準備に多く時間を割けます。

どせい様

講義であることの最大のメリットはリアルタイムであることだと思います.黒板に書きながら声で補足説明できること,書いたら煩雑になることをボディランゲージを通じて表現できるところなど.資料にできる部分とできない部分をうまく使い分ける & 授業を受ける側が板書に意味はないことをとっとと悟ることが必要ですよね.

講義のリアルタイム性は重要ですね。ビデオ講義のよくないところは非リアルタイム性にあります。メディアはネットによって双方向性が重視されているのに、教育工学ではそれと逆行する方向に移行しているのはたぶん過渡期だからでしょうね。効率的で高品質の講義と、リアルタイム性を両立する方法はないものでしょうか。

>情報の再認識においては漫然と見て流してしまいがちな資料を、手で書くことは計算過程を自分でトレースすることを可能にします
個人的な体験ですが手を動かさずに得た知識はたいてい薄っぺらです.変な根拠ですが手を動かすことは推奨しますw

それは言えています。数学・理科・コンピュータあたりは確実に自分で手を動かすことが重要ですね。