Archive for the '勉強' Category

中学受験について

Posted by onaneetX.Q on 2月 14 2010 4 Commented

最近、あちこちで中学受験についてのエントリが上がっている。中学受験?うん、そればいいんじゃない?と思う。ここでは主に「中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ」について取り上げる。特に断り書きがなければ引用は「中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ」から採っている。

当然のことながら彼らエリート中学受験生は、小学校の先生よりはるかに頭がよく、はるかに多くのことを知っている。特に理科のような科目ではできる子供は際限なくできるので、小学校の教員の無能さには耐えられなくなる時が来る。当時ひとりの生徒が「うちの学校の先生はぜんぜんわかってなくて、よく間違ったことを教えるんだ。あんな授業受けたくないよ」と僕に打ち明けてきた。

こういう気持ちもわかる。うちは親に聞けばだいたい教えてくれたので特に苦痛にはならなかったけど。

成績が振るわなくて、下のクラスに落ちてしまった子供たちは、家に帰れば両親、特に母親に厳しく叱責される。中にはぶたれるれる生徒もいた。中学受験とは、ある一面では母親同士の代理戦争なのだ。

ともあるけど、親の過度の教育熱って親自身の失敗に基づくことが多いんじゃないかと思う。ぶっちゃけて言うと、親が勉強ができなかったから子供に強く求めている節がある。いい学校に入るのは見栄のためではなく、そっちのほうが楽しいからなんだと思うけどな。

名門校に入ってくる生徒の親が十分勉強ができて、親は普通の公立に行けばいいじゃないと思っているのに子供が勝手に受験したいと言って入ってくる場合もある。

この気持ち悪さはなんだろう

考えてみてくれ。日本で一番いい大学といわれている東大にいったい毎年何人入学すると思う?3500人だ。大学院も合わせたら全部で20000人もいるマンモス大学だ。早稲田や慶応の学生にいたっては一学年だけで何万人もいて、それこそひとつの都市と同じぐらいの人数がいる。そんなたくさんいる人達に何らかの希少性が生まれると思うか?答えはもちろんノーだ。その点、超難関中学はせいぜい100人や200人の超エリート小学生しか入学できない。

この人もそうだけど、大学で何も学ばないという前提で喋る人は多いよね。大学は学ぶところじゃないから1年から就活を始めろとか著名人が言っちゃったり、社会化しなきゃとか、他にも色々。批判を承知で言うと、どういうわけか共通点は文科系出身者ばかり。文系って大学で何を学んでいるんだろうか。

件のエントリの著者は「国内の某大学理数系学科を卒業後、欧米の研究機関にて計算科学の分野で博士号を取得。世界的なジャーナルに多数の学術論文が掲載される。欧米の大学院でしばらく教鞭についた後〜」とあるので理科系のようだけど、本当かな。

超難関中学はせいぜい100人や200人の超エリート小学生しか入学できない?

これは明らかに嘘だと思う。超難関中学ってどこを指しているか定かではないけど

男子だったら麻布、開成、武蔵、女子だったら桜蔭、女子学院、雙葉という超難関校に何人合格させられるかで全て評価されてしまう。

とか

「○○ちゃんはこんどKコースに上がったんですって? この調子だったら武蔵中学もねらえるかもしれないわねー」「あーら、△△さん、やだわー、うちの子なんてこの前のマンスリーテストはたまたま運がよかっただけですよ。オホホホ」「ところで、□■さんのとこの子、開成中学を受けるらしいわよ」

という記述から開成、武蔵、麻布あたりを想定していると思う。

今は知らないけど筑駒中が120人の合格者を出す。この時点で「せいぜい100人や200人」は間違っている。開成は確か中学300人、高校100人くらいだっけ。忘れたけど。武蔵、麻布、学芸大附属、筑波大附属、駒場東邦・・・一流中学の男子だけでも多分1,000人は合格するし、灘とかラサールとか東大寺学園とか日本中の名門校を合わせたら2,000人を越えるかも知れない。女子を入れたら倍くらい行くかも。1.5流どころを含めたら1万人くらいは入ると思う。

そういうわけで、盛大に煽ってはいるけどひどいミスリードが含まれている。あんまり真に受けてはいけない。

最上位クラスの子供たちは早稲田や慶応の簡単な学部ぐらい何の苦労もなく合格する?

アメリカで15歳で大学を卒業したとかいう天才児の話題がたまにテレビなどで報じられるが、日本の中学受験の最前線の実態を知る者から見れば、そのような子供なら日本にいくらでもいることがわかるだろう。日本では飛び級が認められていないだけなのである。たとえばSAPIXや日能研や四谷大塚の最上位クラスの子供たちに3ヶ月ぐらい大学受験の勉強を教えてやれば、ほとんどのが子供たちが早稲田や慶応の簡単な学部ぐらい何の苦労もなく合格するだろう。

3ヶ月で十分だ。現代文や日本史のように大学受験とあまり変わらない科目なら、そのままセンター試験を受けても偏差値60ぐらいはいくだろう。このクラスの子供たちになると方程式などはすらすら解けるので、数学も一ヶ月も準備期間があれば十分だ。

まあ、受かるかも知れない。早稲田や慶応の簡単な学部って何なのか知らないけど。

ある塾みたいな教育機関でかなり幼い頃から微積分をやらせる、すごいという話を以前聞いた。しかし、y=xをxで積分すると(1/2)x^2になるだけでひどく簡単な計算ルールである。小学校高学年の勉強を聞かれるとわからないという親にとっては、小学生で積分ができると聞くと無条件で驚くようだけど、中身を見てから言わないといけない。単純な計算ができるだけなのか、積分が何なのかわかって演算しているのか。

あと現代文は成績伸び悩むと思うよ。センターならマークさえあっていれば点が来るけど、国語力ってのは案外厄介なもので、ネイティブスピーカーである日本人が受けても点数が伸びないことがある点で、英語の試験と一緒にしてはいけない。

アメリカで15歳で大学を卒業したとかいう天才児は日本にいるのか?

いるとは思う。

おいら基準で日本の御三家(男子)というと、開成・灘・筑駒である。根拠は数学オリンピックとか物理オリンピックとか国際情報オリンピックの歴代の受賞者を見てみると、例えば国際数学オリンピックのWikipediaの記載によると

日本人総出場回数上位者

  • 大島芳樹(筑波大学附属駒場中学・高等学校) 計5回(内訳1999,2000,2001,2002,2003年)
  • 丸岡哲之(開成中学・高等学校)計4回(内訳1994,1995,1996,1997年)
  • 長尾健太郎(開成中学・高等学校)計4回(内訳1997,1998,1999,2000年)
  • 今井直毅(灘中学・高等学校)計4回(内訳1999,2000,2001,2002年)
  • 片岡俊基(高田中学・高等学校)計4回(内訳2004,2005,2006,2007年)
  • 副島真(筑波大学附属駒中学・高等学校)計4回(内約2005,2007,2008,2009)

高田中学・高等学校も入っているけど、筑駒、開成と灘の存在感が大きい。出場数ではなく日本人金メダリストとか、他の国際情報オリンピックとかを見てもこれらの3校が非常に目立つ。

どういうことかというと、単に(中学受験突破時で)東大・京大などに入る公算の高いの秀才は1万人規模でいる(さらに地方の秀才も侮れないのでもっと多い)けど、真に天才と言える人が多く集まる学校はそんなに多くない。だから、アメリカで15歳で大学を卒業したとかいう天才児が日本にもたくさんいるかというと、そんなには多くないだろう。藤沢氏の買いかぶりである。一方では東大なんてクソと言いながら、評価の軸が東大に多く入る学校に入学したことでしかない。

何かの記事ですごい高校生がいると読むと、大抵は「また筑駒(あるいは開成・灘)か」って思う。おいら的御三家と他の超一流中学・高校の間にはかなり大きな差がある。

おいらはゆとり教育賛成派

では、受験をして名門校に進学するメリットは何だろうか。

当時ひとりの生徒が「うちの学校の先生はぜんぜんわかってなくて、よく間違ったことを教えるんだ。あんな授業受けたくないよ」と僕に打ち明けてきた。

こういう環境から抜け出すことが一番大きいんじゃないかと思う。あとは友人だね。何か自分で面白いことをしようと思ったときに、周りに話の合う人がいないのはとても孤独だから、勉強が好きな子供は天才が犇めくような学校に行くことは有意義なのではないかと思う。単に詰め込み教育の申し子は自分よりすごい人をたくさん見てしまうのはよくないかも知れない。

ゆとり教育はすごく批判されていて、2chなんかでも「ゆとりだから〜」とかの煽り文句になっている。でも、ゆとり教育の本質ってつまらない課題に時間を奪われることなく、ほっといても勉強する人は好きな勉強をしなさいということだったと思う。学校のカリキュラムが緩くなったくらいで学力が低下するような人は、どっちみちそんなに学力が伸びることはないと思うよ。言われなければ勉強しないのだからね。

だから、逆説的ではあるけれど受験戦争の頂点であるような名門校はゆとり教育の場でもあるのだと思う。つまらない勉強から(比較的)解放されて、自分の学びたいことを学びやすい環境が用意されている。おいらの言う意味でのゆとり教育に魅力を感じる人は中学受験をすればいい。単に中学受験が日本のトップエリートなんだと盲目的に信じて勉強するのはオススメできない。

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菅源太郎氏についての雑感

Posted by onaneetX.Q on 8月 3 2009 one Commented

スレにこんなリンクが張ってあった:

703 : Classical名無しさん : 09/08/03 01:34 ID:e3UxL5n2
【政治】 “世襲” 民主党・菅氏の息子(36)、世襲狙うも落選続き「就職し結婚します」…三木元首相の孫、「有権者として政治にかかわる」

http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1248916464/

なんというか、ニートとしての格の違いを見せつけられた思いである。井の中の蛙、大海を知らずと言ったところか。現代の日本は経歴に瑕のある人間は社会から排除されてしまう。昔は東芝の社長だった西田厚聰さんとか、ソニー経由でライブドアの社長にもなった平松庚三さんとか、あるいは個人的知り合いのオッサンもそうだけど、昔は変わった経歴でも人生終了とはならなかったのだから、今の時代は歪んでいるというか、本質的に人を大事にしない(形の悪い野菜を商品にせずゴミとして捨てちゃうような考え方を人にも適用する)時代なのだなあと思っている。その時代に、議員を諦めてすぐに就職できて結婚できるというのは僥倖としか言いようがない(親のコネかな)。

だけれど、リンク先のスレの内容については無理解があるなあと思っている。

36歳で大学4年生であること

さきほど「ニートとしての格の違い」と書いたが、大学生はニートではない(あと、36歳はニートの定義から外れる)。おいらもニートを名乗っているが、生活がニートなのであって一応学籍はあるからニートではない。これはやや自虐的な書き方であって、大学生は別に恥じるべき身分ではない。

しかしスレの論調はそうではないし、別にこういう論調は珍しくない。大学生だと遊んでいるとかモラトリアムだとか、そういう風に考える人はたくさんいる。レジャーランドと化した大学が多いこともあるのだろうけど、全体的にはよくない考え方だと思う。大学の価値を多くの人が軽視しているというわけだ。そして、軽視されているなあと思うのは大学(学部)だけではなく、大学院もそうである。専門職大学院(MBAとかね)すらもそのように感じる。

そもそも論を展開すると、高等教育というのは国の発展のためには欠かせないものであったはずなのに、どうして日本では高等教育機関の扱いが悪いのだろうか。おそらく、その解は大学側だけじゃなくて、職場側にもあるのではないかと思う。例えばMBA留学をしてきた人の意見に対して「アメリカナイズされている」とかの文句を言う人がいる。ハーバードビジネスレビューなんかを会社で読んでいると冷ややかな目で見られる。これにはアメリカ的経営が日本的経営とはそりが合わない以上の溝があるように思う。

なぜなら、ビジネスには必勝法があるわけではないので、ビジネスを学ぶ最善の方法はケーススタディである。MBAコースでは様々な事例をベースに情報の分析の方法、プレゼンの方法、相手を説得する方法などの演習をみっちりすることになる。この勉強量は場合は会社で仕事をするよりハードであることが多い。ビジネスの現場で10年かかって直面するトラブルの数々を、十分に実務経験を積んだ優秀な講師の下で2年で凝縮して見渡すことになるようなものだ。さらに優秀なライバルが周りに犇めいている環境が手に入るので、よほどものすごい職場でもない限りは、MBAコースで鍛えて貰った方が有益であろうと信じられている(から高い学費を払ってでも世界中から人が集まる)。

だから、アメリカでMBAを取得するとアメリカナイズされるというのは誤った認識である。MBAで学ぶのは物事を対処する際の態度なので、計算ドリルのようにこういうときはこうするのが正解みたいな杓子定規なものを学ぶわけではない。よく東大批判でも似たようなことを見聞きするが「東大生は答えの分かっている問題を解かせればすごいが、正解がない未知の仕事をさせると案外使えない」というのは、多くの場合は的外れである。ガリ勉型の東大生もいるのだけど、多くの場合は知的好奇心が強く、自己研鑽を厭わないような人が東大に集まってくるので、頭脳労働の現場で役に立たないはずはない。学生を卒業しても一生勉強を続けていくのだから、勉強する姿勢というのは役に立つのだ。

どうも、東大生は使えないと言っている人の多くは「勉強」と「仕事」がまったく別のものと考えている節がある。関係ないものだから、仕事に入る前の段階をどれだけ積み重ねても仕事には役に立たないという見方をする。東大に限らず大学で学ぶことの意義を軽視している人はたぶん頭脳労働ではないところで働いているのではないかな。有名企業の総合職であっても、体力と根性で仕事をしている人はいるからね。

そして、そういう人が多いということは、脳筋(脳みそ筋肉)な人が職場に溢れているということでもあるのではないかな。

就職と学歴についての雑感

唐突だが、一部記事を書き直すので繋がりが悪いかも知れない。

学歴というのは日本では「学校歴」という意味で使われるのだが、その学校が東京大学だったらどうかというと、そんなのは何の意味もないことである。日本の大学の入試とか、最近感じたことだと国家公務員採用1種試験なんてのは、知的好奇心の強い人なら比較的楽に通るようにデザインされている。何かを見聞きしたときに疑問を感じて、それをすぐに調べて解決する姿勢を持っていると、いつの間にかに「教養」が身について、試験も自ずと通るというわけだ。

で、大事なのはこの物事への興味関心と、分からないことをすぐに調べて解決しようとする《姿勢》にある。名門大学の学生は、その姿勢を持っている公算が高いというのに過ぎない。そういう姿勢が身についている人なら、仕事についても能動的に問題点を解決する幹部の適性が高いのである。現時点での知識の総量なんかは比較的どうでもいい。大学なんて人生の1/4地点でしかないのだから、これからどう伸びるかの方がよほど大事である。それに、今の時代は知識をどう扱うかの方が大事になっている。大抵のことはネットですぐに分かるから、生き字引みたいな人の重要性は低くなっている。

いわゆる《東大生》ならば、むしろ学歴なんかは重視されなくても能力本意で見て貰えれば、自ずと採用されるはずである。だから学歴なんかはいらないのである。

問題は、現在の「学歴なんかはいらない」は脳筋の復権であることかな。

菅源太郎氏のNPO活動について

同じようなレスがあるので1つだけ取り出す:

50 :名無しさん@十周年:2009/07/30(木) 10:32:23 ID:LYYAUmYo0
こいつだったかな!?
国連の世界子供委員会の日本代表として参加して、
「日本の学校が行っている学生服という制度は子供に対する人権侵害である!」
ってほざいて、当時のアナン事務総長に
「君たちは恵まれすぎている・・・」って大きなため息をつかせたとか。

世界では10代で兵士にかり出されたり労役に従事させられたり、
はては売春までさせられたりという過酷な人権侵害があるというのに・・・

大抵の進学校では制服がない、あるけど着用義務がない、一応義務だがバカなことを言う教員がいないのであまり問題にならないので、どーでもいいと言えばそれまでだが、これは変な話だと思う。ソースが週刊誌とかしかないので、これは本当のことかと悩んでしまう。

何がおかしいかというと「君たちは恵まれすぎている・・・」のくだり。あるいは「世界には制服どころか私服も着れない子供がいる」というのは反論のようでミスリードである。

制服の問題はおいらは当事者ではないのでちょっと飛躍するけど、例えば現在のワーキングプアは携帯電話を大抵持っている(若年層が多いこと、派遣の仕事を探すにも携帯は重要だから生命線でもある)。これは江戸時代の殿様でも連絡を取りたいときにすぐに連絡がとることは不可能だったことを考えれば大変恵まれている。だから、現在のワーキングプアが自分たちの生活の悲惨さを訴えて、その反論として「君たちは恵まれすぎている・・・」と言われても困る。

ある人が幸せかどうかというのは、別のもっと状況の悪い人を見つけてきて「君たちはあの人たちに比べれば実に恵まれている」と諭すのは無理がある。国連事務総長とか、国連職員が本気でそう言うミスリードをしたかというと、ちょっとでっち上げの匂いがする。ソースもろくなもんがないし。

現代の日本社会は物質的には人類の歴史でももっとも恵まれた社会であるが、それは人類の歴史上でもっとも幸せな社会かというとそうでもないのだ。案外、明日の食料もままならない採取生活の方が、今のようなストレス過多の社会よりは人間は幸せだったかも知れない。

ユートピア

トマス・モアのユートピアという小説がある。ユートピアという小説は風刺であって、こういう社会が理想郷だと本気で主張しているのではない。Wikipediaから説明を引用すると

住民はみな白くて美しい清潔な衣装を着け、財産を私有せず(貴金属、特に金は軽蔑され、後述する奴隷の足輪に使用されている)、必要なものがあるときには共同の倉庫のものを使う。人々は勤労の義務を有し、日頃は農業にいそしみ(労働時間は6時間)、空いた時間に芸術や科学研究を行うとしている。
しかし、実際には着る衣装や食事や就寝の時間割まで細かく規定され、市民は安全を守る為相互に監視しあい、社会になじめないはぐれ者は奴隷にされるなど、現在の視点から見れば理想郷どころかディストピア(逆理想郷)とさえ言える内容となっている。

ある種の日本の学校ってユートピアだと思う。そして、そのことに異議を唱えると、大勢から叩かれるというこの社会の方がおかしいんとちゃうかと思ったりした。

そんなつまんないことを引き合いに、菅源太郎氏がダメ人間であると言うのも酷い話である。彼が本当にそういう運動をしていたとしたら、それはそれで評価されてもいい。表現手法が稚拙だったかも知れないけど、本質的にトマス・モアの疑問に近いことを感じていたはずだからね。ユートピアは共産主義への批判だとよく言われるが、トマス・モアが生きていた時代には共産主義はまだ生まれていない。おそらくモアが批判したかったのは人間の本質的愚かさであって、それが具現化したものに、なんちゃって共産主義国家であったり、一部の日本の学校である。

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親の年収が大学進学率左右するのか

Posted by onaneetX.Q on 7月 31 2009 Add Comments

朝日新聞に「親の年収が大学進学率左右 200万円未満は28%」という記事がある。

年収200万円未満の家庭の高校生の4年制大学進学率は3割に満たず、一方で1200万円以上の家庭では倍以上の6割強に——。東京大学の大学経営・政策研究センターが調査したところ、保護者の収入が多くなるほど右肩上がりに大学進学率が高くなることが確認された。国公立大では所得による差はあまりないが、私立大への進学で大きな差がついていた。

国公立大では所得による差はあまりないと釘を刺されているけど、確かに有名大学に進学する学生の親は必ずしもリッチではないし、そもそも親の支援を得ていない人もちらほらいる。在学中の経済問題に限って言えば、国立大学は案外恵まれていると思う。それでも昔に比べると授業料負担はずいぶん大きくなっているそうだけど。おいらの親世代だと国立は学費は非常に安かったそうだ。最初の問題は学費の問題。

もう一つの問題は学力が身につかないということ。所得が低いと塾に通えず結果として学力が高くならない。これは国公立も私立もなく、学力が付かないのだから大学に入れない。

ところで年収200万円未満って、これは一人暮らしであっても裕福とは言えない水準だと思うよ。時給1,000円で週40時間のフルタイムで働くと年間1,920時間労働で192万円である。つまり、おいらのバイトをフルタイムにするとこのくらいの年収になるわけだが、これでは自転車操業である。都心にワンルームマンションを借りていたら足が出そうだし、何とかやりくりしていてもお金の余裕がない。突然病気になったり、あるいは何か不時の出費(突然洗濯機が壊れたとか)のための貯金を作るのも困難だ。これではとても子育てなんかできるとは思えない。親の持ち家に三代で住んでいるとかでないと無理だと思う。

年収と進学率

グラフを見ると4年制大学の進学率はほぼ右肩上がりだけど、これは一緒に考えてはいけない2つの問題を1つに無理矢理まとめていると思う。1つはそもそも生活が苦しい層。もう一つは一定以上の可処分所得がある層。後者の場合は進学云々は本人の適性によるところが大きいんじゃないかな。

つまり、勉強向きの親が高度成長時代には高い収入を得る傾向にあり、その子供は勉強に向いていたというそれだけの話ではないかと思う。念のために、別に勉強ができることが偉いと言うつもりはない。おいらはどっちかというと、子供の興味に無関心で、猫も杓子も詰め込み教育・大学進学という流れは反対である。大卒でなくても職能があれば適正な年収が取れる社会が望ましい。

話を戻すけど、もしグラフの真ん中より右が、勉強できる親の子は勉強が得意というだけのことならば、30年後に同じ調査をしたらグラフの中央までは右肩上がりでも、そこから先はどういう形になるかわからない。最近は高学歴でもワープアが珍しくないのだから、年収と親の学力があまり関係なく、結果的に子供も勉強が好きにならないかも知れない。レジャーランドとしての大学にはお金があれば進学するかも知れないが、よくいう「東大生の親の平均年収は1,000万円」というのはなくなっていると思う。

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